哲学とは何か、社会でどう活かすのか考えてみた!面接、就活対策にも!

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哲学書って読んだことありますか?

日本では哲学のイメージって、実際には役に立たない理屈ばっかり述べているような扱いを受けがちですよね。

そんなものより、経営書やもっと直接的な社会人のマインドについて書かれた本を読むべきだ!という発想の人もいると思います。

しかし一方で、世界の優れた経営者たちは哲学書を好んで読んでいるといいます。

哲学とは、本当に社会で役に立たないものなのでしょうか?

そうであるなら、なぜ世界の優れた経営者たちは哲学書を読むのでしょうか?

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就活をしていると、面接でこんな質問をされることがあると思います。

「あなたの仕事に対する哲学を教えてください。」

あるいは、「最近読んだ本は何ですか?」というのもお決まりの質問ですが、その読んだ本に有名な哲学書をあげると、「そのような哲学書より、仕事に直接役立つような本を読んだほうが良いとは思わなかったのですか?」

こんなことを言われて困る人もいるのでは?

あるいはもはや定番なので、お決まりの返し文句も覚えているのかもしれませんが、果たしてそれは本当に自分の考えでしょうか?

面接対策としてのテンプレのような回答には、面接官も辟易しているはず。

本当に知りたいのは「あなた」自身の考えなのではないでしょうか。

 

そもそも哲学とはなにか?

さて、前置きが長くなりましたが、そもそも「哲学とは何か」を完全に定義することはなかなかに難しいと思います。

辞典にはこうまとめられています。

①(philosophy)古代ギリシャでは学問一般を意味し、近代における諸科学の分化・独立によって、新カント派・論理実証主義・現象学など諸科学の基礎づけを目ざす学問。生の哲学・実存主義など世界・人生の根本原理を追求する学問となる。認識論・倫理学・存在論などを部門として含む。
②俗に、経験などから築き上げた人生観・世界観。また、全体を貫く基本的な考え方。

分かるような分からないような書き方ですね。

 

「哲学者」というとどのような人を指すのかは何となくわかりますが、その人たちに「哲学とはなにか」と質問するとまさに千差万別の答えが返ってくると思います。

つまり、哲学とはそういう性質を持ったものなのでしょう。

私なりに言うならば、「○○とはなにか」ということを延々と根本的に考えて探求することが哲学なのではないかと勝手に思っています。

 

だからこそ、仕事には哲学が必要なのではないかと私は考えています。

 

トヨタ式の新入社員教育では「5回のなぜ?」を考えることを義務付けられているといいます。

そこに込められたメッセージは「物事に安易に答えを出すな」「誰にでもすぐわかるような答えに飛びつくな」ということなのではないでしょうか。

 

例えば、友人Aに「あなたはゴキブリが嫌いですか?」という問いかけをします。

これに対して友人Aが「黒くて脂ぎっていて速いから嫌いです。」と答えたとします。

こうしてあなたは、「友人Aは黒くて脂ぎっていて速いから、ゴキブリが嫌いなんだなぁ。」とインプットします。

・・・ここで終わるなってことですよね。

ここで終わるってことは、「じゃあ、私がゴキブリを白く塗って、油を落とすために粉洗剤を振りかけて、速く動けないように重りをさげてあげます。これで平気でしょう?」という答えを出すのと変わりません。

 

友人A:「いやいや、そういう問題じゃない!足もいっぱいあって気持ち悪いし、見た目も可愛くないし!」

→「じゃあ、足を数本もいで、可愛くデコります。これで平気でしょう?」

→友人A「いやいや、そういう問題じゃない!そもそも不衛生なところにいるし、ブンブン飛ぶし気持ち悪い!」

→「じゃあ、無菌室に連れて行って、羽ももぎます。これで平気でしょう?」

・・・今は例題が「ゴキブリがなぜ嫌いか」なので、質問者の頭が少しおかしいように見えますが、こういうものが哲学であったりトヨタ式「5回のなぜ?」なのではないかと思っています。

 

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もう少し現実的な例題2を考えてみましょう。

あなたは3歳の男の子の親です。

いつもの散歩の途中、セミが帰り道をふさぐように地面にへばりついています。

そのセミは動きは少ないながらかすかに動いています。

そのセミを見た瞬間、あなたの子どもは急に立ち止まり固まってしまいました。

あなたは子どもになんて声をかけますか?

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いきなり「大丈夫、怖くないよ?」でしょうか?

 

それとも「どうしたの?」

→子ども「セミ怖い」

→「大丈夫、怖くないよ?ほら、お父さん(お母さん)が触って見せてあげる。」でしょうか?

「抱っこしてあげるから通り抜けよう?」でしょうか?

 

さっきのゴキブリの話を思い出してください。

今の会話は「黒くて脂ぎっていて速いからゴキブリが嫌い。」な人に対して「白く塗って、油を落とすために粉洗剤を振りかけて、速く動けないように重りをさげてあげます。これで平気でしょう?」と言うのと同レベルではないでしょうか。

ここで考えるべきは「『セミが怖い』と言った子どもを、セミが怖くなくなるように仕向ける」ことではありません。

その前に「なぜ子どもは急に立ち止まって固まったか」なのではないかと思います。

「怖い他にも理由はあるのかな?」と聞けば「怖いけど触ってみたいの!でも怖いの!」という答えが返ってくるかもしれません。

次は「じゃあ触ってみようか」でしょうか?

いえいえ、「怖いけど触ってみたいんだね?他には理由はあるのかな?」と聞けば「さっき通り過ぎた公園の滑り台やっぱりやりたかった!」という答えが返ってくるかもしれません。

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こうなると親としては「おいおい、セミ関係ないのかよ!」となるのでしょうが、「じゃあ公園に戻って滑り台しよっか!」ではいけません。

「他には(急に立ち止まった)理由はあるのかな?」なのです。

トヨタ式ではこれを最低5回やれといっているのではないですかね。

 

私が考える「哲学」とはこのようなものです。

冒頭で述べましたが、「○○とはなにか」ということを延々と根本的に考えて探求することです。

何も壮大なことを考える必要はないのではないかと思います。

「そうは言ってもさー、普通、子どもが怖いって言ったら、まずそれを解決してあげるのが親じゃね?」といった意見の人もいると思います。

私はそういう考えの人を否定しません。

むしろ、自分なりの考えを持つ人と徹底的に議論すること。

これこそが哲学の醍醐味だと思っています。

 

まぁうまく説明はできませんでしたが、「私」にとっての哲学とは議論の余地を残すような、そういうものでいいのです。

ある命題に対して「完璧な答え」が出てしまった時点で、それは哲学ではなくなると思っていますから。

 

これらを踏まえると、結論としては社会においては人は誰しも何気なく哲学しているのではないでしょうか。

「1回のなぜ?」は誰でも考えるものです。

あとはそれを何回掘り下げるのか、どうやって掘り下げるのか。

それを、哲学書を読んで哲学者たちの考えに触れ、その手法を学ぶのです。

それが、哲学書を読む意義だと私は「今は」思っています。

 

面接の質問に戻ってみましょう。

「あなたの仕事に対する哲学を教えてください。」

→「常日頃からあらゆることに疑問を持つこと。そしてその疑問に対して、安易に答えを出さず『なぜ』と問い続けること。」

こんな答えはどうでしょうか。

でもここで終わってはいけませんよ。哲学ですから。

また、具体的なエピソードを1つ用意しておくといいと思います。

私は社内で中間管理職ですので、このような質問を受けるとすれば退職して中途採用になったときでしょうが、もし「具体的なエピソードがあれば教えてください。」と質問されたとしたら、こう答えます。

「前職ではある法律に関わる仕事をしていました。その法律のある規制について疑義が生じたので調べましたところ、法律に答えらしきものがありました。しかし、これで納得のいかなかった私はありとあらゆる通知・事例・判例を調べ、さらにそれらの事実を参考資料として集めたうえで上司や部下と徹底的に議論した結果、まったく新しい社内方針が生まれ、マニュアル化することができました。私はこういったことを、あらゆる問題に対して行っていくべきだと思っています。」

一応これは、社内表彰を受けたことがある実話です。

 

ですが、これは私の答えに過ぎません。

「哲学とはなにか」の答えは千差万別なのですから。

 

「あなた」の哲学とはどのようなものでしょうか。

 

哲学書とは、その道しるべをしてくれる存在だと思いますよ。

 

 

単に自分の考えを整理しただけで、あまり参考になるような記事ではなかったかもしれません(;・ω・)

ではでは、(´・ω・)ノ★*゚*゚+.゚вуe вуe゚+.゚☆*゚*

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